生きていればいいことがあるという言葉は役にはたたず、生きていた結果具体的な死にたいという気持ちがわかっただけだった

生きていれば起こるいいことというのを受容できないのだから死にたいのだし、そもそも良いことより辛いことが気になっているのだから意味がない

生きるのとポジティブ、死ぬのとネガティブというのは離れがたいらしく生きている皆さんのポジティブ神話が怖い でもネガティヴも死ぬのも悪いことだろうか?わからない世界へ、今より良くなる望みをかけて向かおうとするのはすごくポジティブなんじゃないかな。

明るい

死について考えると、死後について思うとルンルンする!嬉しい。死にたいなあって思うと暗澹としてくるけれど、死んだと思うとすごく暖かい気持ち。

人、死の話題が嫌そう。暗いものもネガティヴなものも嫌い。わかる。私も苦手。でも、それって今現時点で生きているからであって!生きてしまっているから、前向きに肯定して処理するしかないから、じゃないかなあ?べつに死ってツラいことじゃないんだよ!だって生きることがツラいでしょ?

死ぬともう進展しないので、大体おおめにみてもらえるし、大事にしてもらえる。良いことだよね。メリハリ!本当に趣味が悪くて申し訳ないけれど(でも死んだから言っちゃう!)、私が死んだ直後の皆さんの優しさを思うと元気がもらえちゃう。実際どうとかは別にいいし、失礼だけれど日がたたないうちに私のことなど忘れてしまう(だって、皆さんは生きているので)ところまで想像してます。でもいい。だって私は死んでいるから!皆さんに会えて本当に良かった。ありがとう お元気で 今度、天国で会おうね♫ふふ 大好き!

明確に落ち込んできた

足りないものや欲しいものが明確に分かってきたけれど、それをそのまま手に入れることは無いと思う、どうしようかな、全て疲れてきてしまったので最近は本当に何も考えていません 本当に欲しいかな?手に入れられないなら無駄だと思いますが、その場合は本当に欲しいと言えるでしょうか。私は私しか欲しくありません…。そういうことです。言葉も全て上滑りします、人の優しさを感じながら、怒っていないかとか嫌じゃないかとかがほとんど口癖のようになってきていて、悲しいです あと困らせるつもりはありませんが、死ぬ前にどうしてほしい?とかきくようになっています 話題が自然とこんな風になってしまうのは情けないです でも皆死ぬ前提をやめさせようとしてきたり、特に無いとか言います すごく想像できるし真っ当というか、優しい意見だと思います。私なら、遠慮せずに、、、、、、、とか、、、、、、、、、、とか思うけど。変かな?思うのはおかしくないけど、それを …。やめます。

えー、私が死んだ場合はここの記事を公開しておこうと思います、どうかな?友達は消されちゃったけれど。アハハ!アクセスしてもらう手段がないにゃ〜

はじめはつけている日記でも差し上げようと思ったのですけれど。私の思いつく限り日記を見る権限というものがありそうな人は三人いますが、見たがる人は一人くらいかな?と思うし完全にメモだからさぁあんなの。見てもわかること少ないと思います。当ブログもべつにいいと思わないけれど、まあ、素直な感じでいいかな?と思います。イェーイ見てる〜?笑笑

生きてるうちにこんなもの見せられないなぁと思うけれど死んだら許されると思う。ここから少し雰囲気を手繰り寄せて懐かしんで欲しいな!えへへ 手紙書こうと思ったし約束しているけれど全員に書かなかったらヤだからね。間に合わなかったり時間の都合で誰かへのが雑になっちゃったら気になるだろうからなぁ、私が。笑 たぶん。死んだら、ん〜やっぱいっか〜!ってなるかな?笑 死んだと仮定するとスゴク暖かい気持ちになる!すごいなぁ。皆さん今までありがとうね 大好きだよ!

掲示

私は既に、人に見せるつもりでいて努力してここに文章を書かなくなった、アクセスする手段も消した。だからもう知人に見られることはほとんど無いんじゃないかな でももし見ている人がいたら、有難う それが誰でも。蛍になった気分にでもなれそうだと思う。

イデア

私はよく「普通」を気にする。

普通というものについて、具体的にはよくわからないが絶対的な理想、規範だと考えているらしい。

そして同時に自分とは絶対的に違うもの生まれてこないもの、つまり自分の脅威だと思っているらしい。このまま苦しみ続けると思う。

自傷

自傷をするのは生きている実感が得られるからだと言う、私にはわからない。すごいと思う。

 

私は小学校に上がってからそういう自傷というものをしていない(以降にあったのはおまじないだったり、傷が単純に綺麗だからやっていただけ)。

そもそも感覚が違う。生きている実感というものはよくわからないし、それを痛み?で確認しようと思うなんてすごい。

身体に痛みを与えようとする勇気がすごい。ましてや、そのくらい耐えなければいけない中でどうにか折り合いをつけようとしているのが見事だと思う。