手の美しい人が好きだ、私は手が好きだ。でも、それ以上の理由があって、手の美しい人は自分の手を愛しているから、私はそれをとても良いことだと思う。

 

手は、顔などの他の部分よりも、判定が複雑だったりまたは単純だったり、極端だったりしない。何より横暴でない。

だから他人からも感想を言い易いし、また、自分の手を愛している人はそれを隠さなくても良い(個人的に、自分の顔が好きな人だってもっと堂々とさせられたって良いと思っているが)。

自分を愛せること、その担保が物理的に、生来的にあること。すごくいいことだ。

 

手は多様だ。綺麗な手だ、というのは明確にわかる。なのに、その美しさは本当に多様だ。

美しさというものの懐の深い一面でもあり、人間の身体にもある自然というものを感じて嬉しくなる。

例えば首や肩や足の甲や、人間の身体は美しいが、いちばん多く見られるのは、象徴し易いのは、手なんだろう。

 

突然だが、私は皆さんが骨になってしまうと悲しいと思う。

「でも 死なないでくれきみがひとつかみの骨になるなんて」。思いをはせるよりもはやく、指先のかたさや爪のかたちや手のひらの色や厚みや湿度そんなものを手繰り寄せて悲しくなるかもしれない。

夜泣き

 夜泣きの経験の薄い人がいる。

幼少期というよりももっと小さな小さな頃に「いい子」だった人がそうだと思う。

 

すぐにわかる。環境や優しい性格や。特に、神経質な程に人へ気を遣ってくれる人。

そういったものは、生まれた日が暑かったのか寒かったのか程度の、些細な偶然による差異かもしれない(爬虫類は温度で雌雄が決まるのだから、人間の性格だってそんなものであってもいい。

子供の時に得られなかったものは今頃になってくっきりと反照するのだと思う。

 

安心が得られるようになったらいいと思う。得るというより、きちんと身を委ねられるように。怖いと声をあげたら駆けつけてもらえる、そういった当然の権利をもった夜が訪れてほしいと思う。受け入れてほしい、受け入れられてほしい。圧し殺した声で泣かせないために。

辛い時に文章を残しておいた比較的貴重な記事

死にたい、死にたいとしか思えなくなった、それは自分のことしか考えていないからで、私は確か10歳から死にたいと思い始めていたのだけれど、これは癖だろうか?幼稚園生の時から死ぬとほのめかしては自分の気持ちの担保をとった。誰に?自分で自分のことを、動かしていけるという実感がない。耐えられない。ひどく怖い。自分以外がすべてよく見える、自分以外の人は私のことをこんなによくしてくれるのに好きでいてくれるのに私も皆さんのことが好きなのに、でも自分が自分としてこのまま生きるのは耐えられない気持ちだ。普通になりたい。普通とは?わからない、理想だと思う。普通になりたかった。普通普通普通、すぐにまわりのせいにしてしまう、でもじゃあ、どこからが?どこから私はいけなかったのか、子どもの私に罪があったんですか、じゃあ生まれた時点でいけなかったのか、やっぱり死に戻る。自分で動かす責任に耐えられない。決めることも苦手だし、何か繰り返すこともすごく苦手だ。努力どころか何もできない。いままで一度も。自分の手で何か出来たことはない。自分の意思が無い。でも考えれば考えるほど自分の意思など存在しない気がする。真実も。そんなの耐えられない。嘘、生きるのは嘘、嘘で生きるくらいなら死ねばいい、嘘を否定して生きるのは辛い、もう無理、本当に。私は頭が悪いし勤勉じゃ無いから折り合いがつけられない。最近は嬉しい気持ちとかが段々と平坦になって来た。すぐ消えてしまう。嬉しいことは不安定だしいつも状況が違うけれど、辛いことは自分から降ってわくのでいつも同じだ。面白い。だから辛いことだけがどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどん私はどこから違ったのですか、どうにかよく保っていた気がしていたものだって全く役に立たない、じゃあどうなりたいんだろう、なんか、生きててよかったって思いたいなあ、良かったことが思い出せない、なかったはずないんだけれど。信じて持っていられない。ごめんなさい。今までは間違ってたんだって思うことしかない、もう思い出せない、あ、考えが凝固してきました。

 

関係者各位ごめんなさい。

音楽について

私は音楽が好きだ。たぶん。

吹奏楽部の中で、いちばん下手だったがいちばん気持ちを込めて演奏していたことは間違いがなかったし、400人の生徒が眠った音楽会で、私だけは起きていた。じつは音感もそれほど悪くはない。

 

しかし、周りの音楽好きの人達を見ていると、私と違うと思う。

好きなアーティストの新たな楽曲を楽しみにしたり、批評したりしている。私にはまねできない。

音楽は趣味ではない。感覚がわからない。梶井基次郎のいう「器楽的な」感覚は全くわかない。

文化的に楽しむことのできるものや、生理的に必要だと感じるものは、案外貴重だ。

大切なものは多いほうが、人は丈夫だと思う。それは一つの才能で、素晴らしいことだ。

 

私は楽曲を、ほとんど断片的に好きになる。アーティストが元で聴くものは大抵「苦しそうで良い」とかで、テンポの遅い曲などはすぐに再生をやめてしまう。

点として味わうことはあっても線にして好きになるわけではない。点が沢山重なってもそれは点で、つながっているわけではない。

ひとつのフレーズが好きでも、ひとつの曲が好きなわけではない。

音楽好きで無いふつうの人は、多くこのような感じかもしれない。

 

私が音楽を使用するのは、主に止血剤または凝固剤、外界を遮断するため。

頭の内側を音が流れれば思考を止めていても気がつかないし、身体の外側を音が流れれば世界を無視していられる。そういう時にめまぐるしい音の重なりは大いに役立つ。

 

私は音が好きだ。たぶん。

言葉が重なっているよりも音楽が言葉みたいになっているほうが受け入れやすい(これは単に、リズムを象った言葉を、音として身体へ受け入れる機能が私には無いからである)。

声よりも音にきこえるもの。人間の日本語が重なっていないほうが馴染みやすい。

 

言葉は身体で分解されて、いつか吸収されてしまう。音は物理的なので分解出来ない。だから定期的に摂る必要がある。

だからずっと好きだと思う楽曲にはほとんど歌詞が、言葉がない。

Bubbles/Yoshi Horikawa、Blue Milk/Stereolab金平糖の踊り(くるみ割り人形)/チャイコフスキーショパンノクターン2番。

他にはAlva notoだとか(大抵どれでもべつにいい)。

好みとしては不安定なもの。半音がでてくるもの。バランスが取れる気がするし、逆説的だがすごく落ち着く。あとは、心拍に馴染むもの。

生理的かもしれない。少なくとも文化的に好むのではない。

私は水が好きだし飲むと安心するのでよく飲む癖がある。しかしそれを水を飲むことが好きとか、趣味だとは言いづらい。これに近い。

 

楽曲はこれだけ毎日のように更新されるし、どこでも使われている。原始的な営みだし、人間のほとんどは音楽を利用しているはずだ。

それなのに、文化的趣味に発展しないという人間がいる。こう考えてみれば当たり前だが、我ながら面白い。

本を読まない人や、美術に興味の無い人がいることや、私ほどに自然が好きではない人が多くいる(なんとこれは大学に入って知ったことだ)というのと同じように、生来、または環境の多様性なのだ。

そして、文化的じゃなく楽しんでいる人も恐らく沢山いる(私はそのタイプでは無いが)。

 

本当に人は総て違う個人だと思う。どれだけ似ていても。それを実感する瞬間があると面白く感じる。

もし私が楽曲をシュミにして楽しむようになったら、皆様どうぞよろしく。

 

三拍子に揺曳する運命たち

 

読書感想文でも書きます。

 

 

読んだのは川端康成『花のワルツ』,新潮文庫

この文庫本には全部で四作収録され、それぞれ毛色がちがうが川端康成作品らしく、様々な女性の機微が精緻に織り込まれている。それらはうすあまい冷たさとなって、冴え冴えと底流に流れる。

ここでは花のワルツの話をします。

 

「花のワルツ」というのはあまりに有名なバレエ曲で、くるみ割り人形のフィナーレ。主題メロディは恐らく誰もがきいたことのあるフレーズでしょう。

小澤征爾指揮の素晴らしい演奏がYouTubeにアップされているので、良かったらきいてみてください。私は金平糖の踊りが好きです。

 

話がそれました。

花のワルツは豊かなホルンやフルートが陽光を思わせるような、たっぷりとした曲ですが、小説の内容は激しいのです。

 

バレエの舞台。終演際にけんかをする場面から、物語の幕は上がります。

才能を持つ淡白な星枝。一生懸命な努力家の鈴子。

恩師。愛する人。芸術の焰。花の精のような二人の踊り子はめまぐるしい運命にのり、バイオリンの渦に巻き込まれるように、アレグロで物語は展開します。

あの旋律を思い浮かべながら読み進めていくと、伴奏だったそれはこちらへどんどんと侵食し、抜け出せられないような、そんな心地になります。

 

 

さて、いくら言葉を尽くしたところでそれが小説に成り替わりはしないので、本文のうちから私の好きな箇所を引用します。

 

「忘れたわ。」

「よく忘れる人ね。」

と、鈴子が眉墨を引いてやっていると、星枝の頰にひと滴の涙が伝わった。

「あら。」

と、鈴子は思わず手を止めたが、その自分の驚きをぐっと呑み下して、なにげなく微笑むと、涙を拭いてやった。

「なんなの、これ?私に頂戴。」

星枝は美しい面のように、目をつぶったまま、

「鈴子さん、南条さんを愛してるの?」

「ええ、愛してるわ。」

と、鈴子は明るく言った。

「それがどうかしたの。」

「はっきり言うのね。」

「はっきり言うわ。」

「そう?」

 

川端康成は運命に女性を折り重ねて書くことが本当に上手いと思う。

花びらに透ける脈のような、雪の柔らかいひとひらような、こんなに繊細な会話なんかを見ると、私は思わず瞑目する。

『花のワルツ』は大衆小説のような雰囲気があるが、そうした中にも必ず川端康成の文章は煌めいていて、発見するたびに生き生きとした気持を抱く。

 

 

実は、この本は既に絶版である。

 

同時収録の『朝雲』なんかは女学校の恋情を描かれたいわゆる百合作品で、かぐや姫を想起させる部分があって楽しい。他の作品も奇抜だったり(『イタリアの歌』)、逆に定番要素らしかったり(『日雀』)と、素晴らしい一冊なのに、なのに、amazonで1円なのだ。

絶版にしておくには惜しまれる。

いつか復刊しないかなあ、と思っている。

 

形而-

 

私はもともと、絵を描くことが好きだったように思います。

 

 

空想がちで、現実と象徴が混ざり合っているような内に暮らしていた幼い私は、絵を描くことがずっと、遊びの習慣でした。

一人で遊ぶことの多かった私の選ぶ一つの選択肢だったというわけです。

あまり皆と同じような描き方はしなくて、お姫様一人描くのにも変だと言われたり驚かれたりしましたが気にかけませんでした。

こう思い返すと、幼い頃からずっと独善的でありました。

とりたてて上手くはありませんでした。

 

自覚はなくとも、なんとなくの手の慰めとして習慣は続いていて、学校では一切授業をきかず、何か描いていました。

女の子たちが絵を描かなくなる、または、隠れて描くようになる高校生の頃には、相対的に「絵が上手い」扱いをされてゆきました。

 デザインを引き受けたりすることは多くありましたし、小さな小さなイベントで賞をとったこともありました。

高校生の頃には、「絵を描くことが好きなんだな」という自覚が現れるようになっていました。

 

 

 

絵を描くということには二つ要素があって、頭の中でイメージすること、画面にそれを呼び出すこと。大きくわけるとこの二つだと思います。

 

内向的で独善的な私の頭の中の象徴は豊かなものでした。

また、頭の中でイメージを組み合わせ、それを絵に持ってゆくことは割合楽にできました。

 

また、上手くはないながらも、よく考えた構想や手間で、見栄えは良くできたのでした。絵を描くときには、眠らないで頑張れました。少しだけ絵を描く練習をしてみることだってありました。

 

 

大学に上がってからも、絵を描くことは時々ながら続きました。

しかしもう限界でした。

突然、虚しさや苦しさが私を圧迫するようになりました。

 

第一に、思うように上手く描けないことは苦しいものでした。下手であるのは紛れもない事実でした。

頭の中の象徴をうまく現前させられないことは、すごく苦しいことでした。

絵は絵です。記号ではありません。きちんと絵として表現するためには、物理的な訓練だって必要です。

ですが物理的な訓練というのは、全体私には酷く難しいものでした。勿論絵に対しても、そうなのです。

具象がきちんとあるならばそれを物理的に召喚することは出来る、というのなら、私に能が無いのだとしか言えません。

絵を鑑賞することは上手くいっても、絵を描くことが上手いとは限りません。食べることに事細かい人が、上手く料理を作れるとは限らないということと、同じようなものでしょう。

以前は完成させるまで信じて向き合えたのに、苦しくて仕方がなくなってしまいました。

 

その中で、どうにか完成させても、虚しさが流れ込むようになりました。

嫌な気持ちで完成させて、完成したものを嫌な気持ちで眺める。

苦しんで作り出したそばから壊し、捨て去りたい衝動に駆られました。達成感や満足感はありませんでした。

折角人が褒めてくれても、感覚が遠く感じられました。自分でも何がいいのか、全然わかりませんでした。ただ手間だけがかかった、くだらない遊びの一つに見えました。

 

ある程度綺麗な絵や精巧な絵なら、手間をかければ作ることができるのです。

私はそんな絵を作りたいのではないのです。綺麗な絵や精巧な絵を作る必要性が私には無いのです。私はそこに心をのせることが出来ません。

しかし、私の象徴はいつまでも混沌として現前することは無いのでした。

 

 

続いて、絵を描こうとすれば気持ち悪さを感じるようになりました。

例えば、人の顔を描くとします。そうすると、その顔は私の顔になります。横顔以外は全てそうでした。

鼻を描いても、頬骨を描いても、口を描いても、目を描いても、何を描いてもそれはすべて私となって暗い眼でこちらを睨みました。醜悪な顔をしていました。

床に落ち冷めた自分の体液に触るような、そんな気持ち悪さが私の中へ澱みました。

 

 

そうして、絵を描くと気持が暗澹として、体調に影響をおとすようになりました。

紙を少しでもなぞれば何時間も眠れなくなり、何日も気持ちが荒れました。

そのうち、頭の中へ象徴は現れなくなりました。

それは私が若い危うさを失ったからかもしれませんし、言葉を信用して使うようになったからかもしれません。

それでも、絵を見ることは相変わらず好きでした。その奥には、私も絵を描けたら、という気持ちはありました。今までずっとそうです。

 

執着かもしれません。

いつか執着も無くなって、苦しみさえ感じなくなるように思います。

けれど、その執着が消え去るのも恐ろしい気がします。

私はただ芥子粒のような一人の学生にすぎないのに、すぎないから、こんなに苦しんでいることも総て、無意味に感じます。

 

 

私は今では、絵を描くことが嫌いになったように感じます。

 

執着を手放した私がどんな未来にいるのか、今の私にはわかりません。

 

 

 

 

 

形而下

私小説が、生れて百年あまりです。

私達は、百年後の世界で簡単に物語を人と交換出来るようになりました。

私は、少し前から日記をつけています。

日記といえば恐らく個人的なものなのですが、書いたものは友人に見せたり、あげたりしていました。そんな習慣でした。

 

日記を誰にも見せなくなってから、一年経ちます。

日記は、一人だけでは淡白です。

手紙は、独りよがりになります。

twitterでは、文字が足りません。

人に見られる前提でまとまった文章を書くことが、どういったことなのかを考えてみようと思います。

 

私は孤独ではありません。言葉を交わす大切な友人がいます。言葉を信用しているし、好きだと思っています。ただ、人に伝えることは不得手です。

これは、一人では形にしないもの、または、一人であるから形にするものを、誰かに伝えるものとして現前させるという仕事が、どんな影響を与え得るのか、という実験です。