形而下
私小説が、生れて百年あまりです。
私達は、百年後の世界で簡単に物語を人と交換出来るようになりました。
私は、少し前から日記をつけています。
日記といえば恐らく個人的なものなのですが、書いたものは友人に見せたり、あげたりしていました。そんな習慣でした。
日記を誰にも見せなくなってから、一年経ちます。
日記は、一人だけでは淡白です。
手紙は、独りよがりになります。
twitterでは、文字が足りません。
人に見られる前提でまとまった文章を書くことが、どういったことなのかを考えてみようと思います。
私は孤独ではありません。言葉を交わす大切な友人がいます。言葉を信用しているし、好きだと思っています。ただ、人に伝えることは不得手です。
これは、一人では形にしないもの、または、一人であるから形にするものを、誰かに伝えるものとして現前させるという仕事が、どんな影響を与え得るのか、という実験です。