手の美しい人が好きだ、私は手が好きだ。でも、それ以上の理由があって、手の美しい人は自分の手を愛しているから、私はそれをとても良いことだと思う。

 

手は、顔などの他の部分よりも、判定が複雑だったりまたは単純だったり、極端だったりしない。何より横暴でない。

だから他人からも感想を言い易いし、また、自分の手を愛している人はそれを隠さなくても良い(個人的に、自分の顔が好きな人だってもっと堂々とさせられたって良いと思っているが)。

自分を愛せること、その担保が物理的に、生来的にあること。すごくいいことだ。

 

手は多様だ。綺麗な手だ、というのは明確にわかる。なのに、その美しさは本当に多様だ。

美しさというものの懐の深い一面でもあり、人間の身体にもある自然というものを感じて嬉しくなる。

例えば首や肩や足の甲や、人間の身体は美しいが、いちばん多く見られるのは、象徴し易いのは、手なんだろう。

 

突然だが、私は皆さんが骨になってしまうと悲しいと思う。

「でも 死なないでくれきみがひとつかみの骨になるなんて」。思いをはせるよりもはやく、指先のかたさや爪のかたちや手のひらの色や厚みや湿度そんなものを手繰り寄せて悲しくなるかもしれない。