音楽について

私は音楽が好きだ。たぶん。

吹奏楽部の中で、いちばん下手だったがいちばん気持ちを込めて演奏していたことは間違いがなかったし、400人の生徒が眠った音楽会で、私だけは起きていた。じつは音感もそれほど悪くはない。

 

しかし、周りの音楽好きの人達を見ていると、私と違うと思う。

好きなアーティストの新たな楽曲を楽しみにしたり、批評したりしている。私にはまねできない。

音楽は趣味ではない。感覚がわからない。梶井基次郎のいう「器楽的な」感覚は全くわかない。

文化的に楽しむことのできるものや、生理的に必要だと感じるものは、案外貴重だ。

大切なものは多いほうが、人は丈夫だと思う。それは一つの才能で、素晴らしいことだ。

 

私は楽曲を、ほとんど断片的に好きになる。アーティストが元で聴くものは大抵「苦しそうで良い」とかで、テンポの遅い曲などはすぐに再生をやめてしまう。

点として味わうことはあっても線にして好きになるわけではない。点が沢山重なってもそれは点で、つながっているわけではない。

ひとつのフレーズが好きでも、ひとつの曲が好きなわけではない。

音楽好きで無いふつうの人は、多くこのような感じかもしれない。

 

私が音楽を使用するのは、主に止血剤または凝固剤、外界を遮断するため。

頭の内側を音が流れれば思考を止めていても気がつかないし、身体の外側を音が流れれば世界を無視していられる。そういう時にめまぐるしい音の重なりは大いに役立つ。

 

私は音が好きだ。たぶん。

言葉が重なっているよりも音楽が言葉みたいになっているほうが受け入れやすい(これは単に、リズムを象った言葉を、音として身体へ受け入れる機能が私には無いからである)。

声よりも音にきこえるもの。人間の日本語が重なっていないほうが馴染みやすい。

 

言葉は身体で分解されて、いつか吸収されてしまう。音は物理的なので分解出来ない。だから定期的に摂る必要がある。

だからずっと好きだと思う楽曲にはほとんど歌詞が、言葉がない。

Bubbles/Yoshi Horikawa、Blue Milk/Stereolab金平糖の踊り(くるみ割り人形)/チャイコフスキーショパンノクターン2番。

他にはAlva notoだとか(大抵どれでもべつにいい)。

好みとしては不安定なもの。半音がでてくるもの。バランスが取れる気がするし、逆説的だがすごく落ち着く。あとは、心拍に馴染むもの。

生理的かもしれない。少なくとも文化的に好むのではない。

私は水が好きだし飲むと安心するのでよく飲む癖がある。しかしそれを水を飲むことが好きとか、趣味だとは言いづらい。これに近い。

 

楽曲はこれだけ毎日のように更新されるし、どこでも使われている。原始的な営みだし、人間のほとんどは音楽を利用しているはずだ。

それなのに、文化的趣味に発展しないという人間がいる。こう考えてみれば当たり前だが、我ながら面白い。

本を読まない人や、美術に興味の無い人がいることや、私ほどに自然が好きではない人が多くいる(なんとこれは大学に入って知ったことだ)というのと同じように、生来、または環境の多様性なのだ。

そして、文化的じゃなく楽しんでいる人も恐らく沢山いる(私はそのタイプでは無いが)。

 

本当に人は総て違う個人だと思う。どれだけ似ていても。それを実感する瞬間があると面白く感じる。

もし私が楽曲をシュミにして楽しむようになったら、皆様どうぞよろしく。