涙と死にたいと思う気持ちが完全に癖になっている。はやく治したい。生きたいって言えるようになりたい、いまのうちに静かに病気が進行して、取り返しのつかないところまでいけばいいと思う。幸せへの希求が足りない。毎日ココアを飲んで運動するぞ!死なな…

けて…

早く

自分が偏屈に硬化していくのを感じる、でも皆さんは死に耐性がなさ過ぎるんですよ 死を考えるというのは常に生を

怒る条件

怒る条件というのがあり、人を傷つけるか傷つけないか?というところらしい 私が不用意に相手を傷つけようとしていると思い込まれたり(信じてもらえない)不用意に相手から傷つけられた時だけ強い怒りを感じる

☆ワークショップ☆

国内の鳩さんで百合同人をつくろう!

元気です

昨日の夜から元気だ。脳内物質のせいとは思いたくないがそうかもしれない。 絵を描いたりもした。平気で。元気と思う時には死が全然かすめないから、不思議だ。皆んなは死を嫌がるからたぶん通常はこういうものなんだろう。 元気だが、怖い夢を見た。ここ数…

助けて

最近は漠然とそうおもいます 耐え難い気がしてくる

生きていればいいことがあるという言葉は役にはたたず、生きていた結果具体的な死にたいという気持ちがわかっただけだった 生きていれば起こるいいことというのを受容できないのだから死にたいのだし、そもそも良いことより辛いことが気になっているのだから…

明るい

死について考えると、死後について思うとルンルンする!嬉しい。死にたいなあって思うと暗澹としてくるけれど、死んだと思うとすごく暖かい気持ち。 人、死の話題が嫌そう。暗いものもネガティヴなものも嫌い。わかる。私も苦手。でも、それって今現時点で生…

明確に落ち込んできた

足りないものや欲しいものが明確に分かってきたけれど、それをそのまま手に入れることは無いと思う、どうしようかな、全て疲れてきてしまったので最近は本当に何も考えていません 本当に欲しいかな?手に入れられないなら無駄だと思いますが、その場合は本当…

掲示

私は既に、人に見せるつもりでいて努力してここに文章を書かなくなった、アクセスする手段も消した。だからもう知人に見られることはほとんど無いんじゃないかな でももし見ている人がいたら、有難う それが誰でも。蛍になった気分にでもなれそうだと思う。

イデア

私はよく「普通」を気にする。 普通というものについて、具体的にはよくわからないが絶対的な理想、規範だと考えているらしい。 そして同時に自分とは絶対的に違うもの生まれてこないもの、つまり自分の脅威だと思っているらしい。このまま苦しみ続けると思…

自傷

自傷をするのは生きている実感が得られるからだと言う、私にはわからない。すごいと思う。 私は小学校に上がってからそういう自傷というものをしていない(以降にあったのはおまじないだったり、傷が単純に綺麗だからやっていただけ)。 そもそも感覚が違う。…

手の美しい人が好きだ、私は手が好きだ。でも、それ以上の理由があって、手の美しい人は自分の手を愛しているから、私はそれをとても良いことだと思う。 手は、顔などの他の部分よりも、判定が複雑だったりまたは単純だったり、極端だったりしない。何より横…

夜泣き

夜泣きの経験の薄い人がいる。 幼少期というよりももっと小さな小さな頃に「いい子」だった人がそうだと思う。 すぐにわかる。環境や優しい性格や。特に、神経質な程に人へ気を遣ってくれる人。 そういったものは、生まれた日が暑かったのか寒かったのか程度…

辛い時に文章を残しておいた比較的貴重な記事

死にたい、死にたいとしか思えなくなった、それは自分のことしか考えていないからで、私は確か10歳から死にたいと思い始めていたのだけれど、これは癖だろうか?幼稚園生の時から死ぬとほのめかしては自分の気持ちの担保をとった。誰に?自分で自分のことを…

音楽について

私は音楽が好きだ。たぶん。 吹奏楽部の中で、いちばん下手だったがいちばん気持ちを込めて演奏していたことは間違いがなかったし、400人の生徒が眠った音楽会で、私だけは起きていた。じつは音感もそれほど悪くはない。 しかし、周りの音楽好きの人達を見て…

三拍子に揺曳する運命たち

読書感想文でも書きます。 読んだのは川端康成『花のワルツ』,新潮文庫。 この文庫本には全部で四作収録され、それぞれ毛色がちがうが川端康成作品らしく、様々な女性の機微が精緻に織り込まれている。それらはうすあまい冷たさとなって、冴え冴えと底流に流…

形而-

私はもともと、絵を描くことが好きだったように思います。 空想がちで、現実と象徴が混ざり合っているような内に暮らしていた幼い私は、絵を描くことがずっと、遊びの習慣でした。 一人で遊ぶことの多かった私の選ぶ一つの選択肢だったというわけです。 あま…

形而下

私小説が、生れて百年あまりです。 私達は、百年後の世界で簡単に物語を人と交換出来るようになりました。 私は、少し前から日記をつけています。 日記といえば恐らく個人的なものなのですが、書いたものは友人に見せたり、あげたりしていました。そんな習慣…